文化財・仏像

重要文化財や境内の仏さまをご紹介いたします

聖観音・大勢至菩薩坐像

【国指定重要文化財】
1167年 平安後期作
作者 不明


戦災焼失の阿弥陀如来の両脇侍で像高137.8㎝
燃え盛るお堂から
2人で持ち運ばれ難を逃れた二仏

阿弥陀如来の智慧と慈悲を象徴した仏さまで
菩薩は私たち衆生を救うために
如来位に上がらず
より近いところで私たちを見守ります

仏像の特徴としましては
木造乾漆寄木作りで漆の上に金箔がかけられています

中央仏師の作と思われますが、作者の名は不明
定朝様の典型ともいうべき表情を具えた像に
玉眼が嵌入されています

一般に運慶(1148~1223)からとされる玉眼嵌入技法の
先駆をなすものとして
玉眼を嵌入した最古の仏像の1つであり
尾張彫刻史上に貴重な存在価値を占めています




唐櫃入紙本墨書一切経

【国指定重要文化財】
平安後期

大中臣朝臣安長が
安元元年(1175)から治承2年(1178)にかけて
書写させ奉納した4954巻31合の
黒漆塗唐櫃(内1合は重文指定外)
に納められています

そのうち大般若経600巻を納める唐櫃6合には
中尊に釈迦如来または般若菩薩を配したものと
中央の宝幢に「大般若波羅蜜多経」と題したものとに
それぞれ十六善人が取り囲むように
金銀朱漆で描かれた蒔絵の中蓋と
側面に蓮池を蒔絵で描いた小函10個を
左右に5段ずつ備えています

なかでも3世紀~5世紀以降
本家の中国でさえ原本の所在が不明で「幻の経典」
とまでいわれている「本行六波羅蜜経」や
「度梵志経」、「毘羅三昧経」、「清浄法行経」
等々の写経が含まれていることが
平成2年の研究によって解明された

一切経が所蔵される代表的な寺院として
法隆寺や石山寺などがあります
そういった中で七寺一切経は
日本で5番目に古いものとなっています


露仏 大日如来坐像

1739年 元文4年(江戸時代中期)

境内の木陰に鎮座する大仏
胎蔵界の大日如来坐像
江戸時代に作られ、戦前と変わらない位置にて
お座りになられています

五智の宝冠を身に着け
お身体には奉納された方の名が刻まれています

太平洋戦争の空襲により1度破壊され
頭部も落ちバラバラになってしまいましたが
戦後なんとか修復し現在のお姿となっています

大日如来は仏の最高位であり
私たちを見守り導く存在であるとともに
現在のそのお姿は
戦争の悲惨さを伝えているようにも見えます


豊川稲荷 吒枳尼天


元文年間に当時の藩主
徳川宗春によって建立された七寺稲荷
太平洋戦争で焼失するも
戦後すぐに再興されました
天部の仏さまである吒枳尼天が祀られ
「お稲荷さん」と親しまれています

現在「豊川稲荷」の名がついていますが、
豊川の由来は不明

元は徳川藩の稲荷であったため
名古屋城内に祀られていた稲荷と
分体の関係にあり
当時の住職が毎月名古屋城へ法要を勤めに
参っていたといいます


不動明王

東海三十六不動尊

不動明王さまは
「お不動さま」とも呼ばれ
多くのお寺にお祀りされています

右手には煩悩を断ち切る「宝剣」
左手には衆生を導く「羂索」を持ち
その恐ろしい表情で諸悪を立ち退けます

お不動さまの憤怒の形相は
大慈悲からくるものであり
間違えた道に進もうとする者を
叱り導く優しさです

不動の心をもって
私たちを見守って下さいます

弘法大師

名古屋二十一大師

弘法大師空海
804年に入唐し恵果阿闍梨より
インド直伝の密教を伝授され
日本で真言宗を開きました

当山の弘法大師像は
右手に利剣を持ったお姿で表され
「般若心経」の真理を説いているお姿です

そこに智慧の仏である文殊菩薩の象徴である
「利剣」を持たせることで
両者の高い仏徳を表しています

名古屋に21か所あるお大師様の
2番札所に指定されています